16歳のあの日、人生が止まったように思えました。不慮の交通事故。病院のベッドで「一生車椅子生活です」と告げられたとき、目の前が真っ暗になり、すべてが終わったと絶望しました。
それからの毎日は、ただ「こなす」だけ。
リハビリで生活はできるようになりましたが、養護学校に行かざるを得なくなりました。
大学では孤独に過ごし、障害者枠で就職してからも「誰かに迷惑をかけているのではないか」という罪悪感でいっぱいでした。同僚たちの優しささえ、自分の無力さを突きつけられているようで苦しかったです。
女性であることを諦めた日
そんな私の心を粉々に砕く出来事がありました。ずっとオンラインでやり取りをしていた他社の男性が、初めて来社されたときのことです。画面越しに好意を寄せてくれていた彼は、私を見るなり満面の笑みで駆け寄ってきました。しかし、私が車椅子に乗っていると気づいた瞬間、彼の顔から表情が消えました。
「……あ、そうだったんだ」
彼が残した冷ややかな空気と、後から聞いた「車椅子だと知ってショックを受けていた」という言葉。私は、女性としての幸せだけでなく、人間として存在する資格さえないのだと、生きる気力すら失いました。
ただ呼吸をして、食事をして、排泄して、寝るだけ。恋愛も結婚も、私には無縁の「健常者の特権」だと自分に言い聞かせてきました。
頭から離れない精子提供
ある日、偶然目にした「精子提供」という言葉。最初は「怪しい」「女性を蔑ろにしている」と強い嫌悪感を抱きました。けれど、なぜかその四文字が頭から離れません。調べていくうちに、ある残酷な現実にぶつかりました。どこの支援団体も、障害者への提供を想定していなかったのです。
「やっぱり、私には母親になる資格さえないんだ」
諦めかけたとき、最後に見つけたのが「サズカリ」でした。どうせ冷たく断られるだろう。そう思いながら送ったメール。しかし、返信は驚くほど早く、そして温かいものでした。
私の障害を否定するどころか、妊娠・出産、そしてその後の車椅子での育児をどう進めるべきか、親身になって一緒に考えてくれたのです。
母の告白
「母親になりたい」という決意を打ち明けたとき、一番怖かったのは母の反応。しかし、母は静かにこう言いました。 「カウンセリングに、お母さんも同席させて。孫の父親を、この目で見極めたいから」
母は私を見捨ててなどいませんでした。当日、緊張する私をよそに、母はニコニコとドナーの方と対面。身長175cm、凛とした二重の、優しそうなドナーにお会いし、母もその場で安心して了承してくれました。
産婦人科での検査を経て、無事に妊娠。母のサポートのもと、出産も順調に進みました。一番楽しんで、嬉しいそうだったのは、他でもない母。母は私の交通事故以降、おばあちゃんになることを諦めていたそうです。
出産直後に母から「ありがとう」と言われ、号泣しました。
塞ぎ込んでいる方へ
今、膝の上には、温かくて愛おしい我が子がいます。車椅子の母親に向けられる世間の目は、決して優しいものばかりではありません。でも、かつて「ただ生きていただけ」の私にとって、そんなことは些細なことです。この子の寝顔を見ているだけで、私は今、人生で一番幸せだと言い切れます。
障害があるから、独身だから。そんな理由で、心にある「お母さんになりたい」という願いを押し殺さないでください。
迷っているのなら、まずは「サズカリ」に相談してみてはいかがでしょうか。そこに答えはなくても、いっしょに考えてくれる人がいます。

